あなたの時代は堅く立つ。知恵と知識とが、救いの富である。主を恐れることが、その財宝である。
イザヤ33:6

60年代は、NLMのもとにあった教会が「西日本福音ルーテル教会」を組絨し、活動の主体がミッション(伝道会・宣教師)から教会へ移行していきます。この変化は、容易なものではなく、このプロセスを忍耐と祈りをもって経験したことが、その後の西日本教会とNLMの協力関係を強固なものにすることとなりました。

異文化間協力、組織形成、財務、など多面的な課題にリーダーの方々が取り組まれたことが資料をとおして伝わってきます。この時代に、西日本教会の基本的枠組みと路線が決まった、と言ってよいでしょう。また、西日本教会の組織化の時点で、日本福音ルーテル教会との「合同」が視野に入れられており、この課題との真撃な取り組みもうかがわれます。

61年
第1回牧師接手札(粂井実、中津義典、田中良浩)。
津山、鳥取、青谷、大田などで長老が誕生。
米子伝道開始。
62年
西日本福音ルーテル教会成立
(神戸ルーテル聖書学院において開かれた総会において、西日本福音ルーテル教会憲法及びNLMとの協定が批准された。初代議長 鍋谷堯爾)
64年
社伝道開始。
65年
宗教法人西日本福音ルーテル教会が設立承認される(6月7日)
蒜山農村センター落成
68年
「心に光を」放送開始。
2代議長・谷口泰造

[資 料]

「自給自立の問題」

(西日本教会設立)当時、9教会の会員数は800人、総献金額は、340万円であった。これに伝道会からの援助金370万円を加えた710万円で教団全体の活動は運営されていた。そのうち210万円が各地方教会の活動費に使われ、本部費は35万円、18名の教職給合計が420万円であった。当時、牧師給は基本給が1万3000円、年俸加俸300円、家族手当は約3000円であった。又他のルーテル教団では、日本福音ルーテルの総献金額が約3000万円、海外からの補助金が約3000万円であった。近畿福音ルーテル教会は西日本ルーテルとはぼ同額である。海外からの補助金をどのようにして減らし、どのようにして自給を達成するかということは、ルーテル教会にとどまらず、すべての教派教団の直面していた問題で、今日でも、戦後、宣教団体によって創立せられた小教会は苦闘しているが、日本福音ルーテル教会は数年前に自給を達成した。

「合同問題」

合同問題については、教団創立以前から、ルーテル系宣教団体と日本福音ルーテル教会の間で数年にわたって審議がすすめられていたが、ミゾリー・ルーテル教団は早くから独自の路線を歩み、結局、日本福音ルーテル教会と東海福音ルーテル教会が合併し、西日本福音ルーテル教会と近畿福音ルーテル教会は独自の教団形成をすることとなった。1963年第2回総会では、「態度保留」という決議によってこの問題を棚上げしている。しかし、聖文舎、ルーテル・アワー、マルチ・メディア・プロジェクトなど、じっさいの協力関係の中で、同じルーテル信条の上に立った日本福音ルーテル教会ミゾリー・ルーテル、近畿福音ルーテル、西日本福音ルーテルの交わりと協力は今日まで継続してきている。又、第2回総会では、宗教法人規則の承認がなされ、これにより法人登記を完了、ノルウェー・ルーテル伝道会とは別個の独立した宣教団体として歩むこととなった。

「西日本福音ルーテル教会の展望」鍋谷堯爾(「主の枝」161号・1979年より)


本教会は、聖書、すなわち旧新約聖書が聖霊によって啓示された神の言であると信ずる。したがって本教会は、聖書がキリスト者の信仰と生活の唯一完全な基準であり、すべての教義と教えがこの聖書にもとづくものと信じる。本教会は、世界教会信条及び一般にルーテル教会により認められている信条を受け入れる。とくに、万人祭司職、恵みの賜物を強調し、信徒主義と平易な礼拝形式をモットーとしている。また、教会政治として長老制を採用している。

『キリスト教年鑑』「西日本福音ルーテル教会・教義」